UCLAの大学院で理論物理学を研究するルント氏によれば、現代の物理学は「標準模型」という強固な枠組みの上に成り立っています。
このモデルは1970年代に確立され、電磁気力、強い力、弱い力の3つを統合した画期的なものです。
17種類の素粒子で構成されており、2012年にヒッグス粒子が発見されたことで、一応の完成を見たとされています。
しかし、この完璧に見える模型には、致命的な欠落が存在するのです。
それは何でしょうか?
それは、宇宙の全物質・エネルギーのうち、我々が理解している「普通の物質」はわずか5%に過ぎないという事実です。
残りの95%を占めるダークマター(暗黒物質)やダークエネルギー、そして重力については、標準模型では説明がつきません。
そこで必要となるのが「Beyond the Standard Model(BSM)」、すなわち標準模型を超えた物理学です。
ルント氏はこのBSMを解明するため、主にダークマターとニュートリノという2つのキーワードに焦点を当てて研究を行っています。
ダークマターは、光を出さず吸収もしないため、直接観測することができません。
しかし、1930年代のツッキーによる銀河団の観測や、1970年代のベラ・ルービンによる銀河の回転速度の調査から、その存在は確実視されています。
星の回転速度が中心から遠くても遅くならないのは、目に見えない巨大な質量が重力を及ぼしているからです。
さらに、チャンドラX線宇宙望遠鏡による衝突銀河団の観測では、目に見えるガス(X線)と重力の中心(重力レンズ効果)がズレていることが判明し、光らない物質の存在が決定的となりました。

ルント氏が取り組んでいる独自のアプローチは「ハローによらない解析」です。
通常、ダークマターの研究では銀河内の分布(ハロー)をあらかじめ仮定しますが、彼は粒子のモデルから逆に分布を予測しようと試みています。
この手法は、ダークマターだけでなく低エネルギーのニュートリノ研究にも応用可能です。
特に「CEnuNS(セニュース)」と呼ばれるコヒーレント弾性ニュートリノ原子核散乱は、将来のダークマター探索における極めて重要な鍵となります。
実は、ダークマターを捉えようとする高感度な実験において、このニュートリノ反応は致命的な「背景ノイズ」となって立ちはだかります。
ニュートリノがあまりに多く、かつ微弱な反応を示すため、ダークマターの信号と区別がつかなくなってしまうのです。
この「ニュートリノの床」を正確に理解し、ノイズを切り分けることが、未知の物質を発見するための絶対条件となります。
敵を知ることで、真のターゲットを炙り出す戦略と言えるでしょう。
一方で、ルント氏は「テラ電子ボルト」級の極めて高いエネルギーを持つニュートリノにも注目しています。
これほど高エネルギーの粒子は、地球上の加速器では作ることができません。
その発生源となるのは、宇宙最強の加速器である「ブラックホール」です。
ブラックホールの周囲には吸い込まれるガスが作る「降着円盤」が存在し、激しい摩擦によって莫大なエネルギーを放出しています。
さらに、ブラックホール近傍では強力な磁場が形成され、光速に近い速度で粒子が噴き出す「相対論的ジェット」が生み出されます。

このジェットの中で原子核が光と衝突し、崩壊する過程で高エネルギーのニュートリノが誕生するのです。
これらの粒子を観測することは、宇宙の極限状態で何が起きているのかを知るための貴重な手がかりとなります。
理論物理学の研究手順は、以下のように体系化されています。
①既存の物理モデル(標準模型)の限界を定義する。
②ダークマターやニュートリノの相互作用を記述する数理モデルを構築する。
③構築したモデルから、観測可能な物理量(散乱断面積やエネルギー分布)を計算する。
④実際の観測データ(LZ実験やゼノン実験、アイスキューブなど)と比較し、モデルの妥当性を検証する。
⑤矛盾がある場合はモデルを修正し、未知の粒子の性質を絞り込む。
この地道なプロセスの積み重ねが、宇宙の真理へと近づく唯一の道なのです。
理論物理学者は、黒板や計算機の前で数式と格闘するだけでなく、宇宙規模の壮大な現象を脳内でシミュレーションしています。
地上で起きる現象が宇宙でも成り立つのか、あるいは宇宙の観測事実を説明するために地上での常識をどう疑うべきか。
ルント氏の研究は、ミクロな素粒子の世界とマクロな宇宙の構造を「BSM」という架け橋で繋ぐ挑戦に他なりません。
我々が知る「5%の世界」の外側には、まだ想像もつかない豊かな物理学が広がっているのです。


