アパホテル(APA HOTEL)社長、元谷芙美子(Fumiko Motoya)氏が説く「強運」の正体は、単なる偶然の産物ではありません。
彼女は「運」という漢字の成り立ちを、軍隊が道を進む様子に例え、自ら戦って勝ち取るものだと定義します。
この能動的な姿勢こそが、幾多の困難を好機に変えてきた源泉です。
日々のルーティーンとして、彼女は封筒にお金を入れ「お金は大事に使いましょう。命のおかげです」と自筆で記して持ち歩いています。
この謙虚な感謝の念が、ビジネスにおける鋭い感覚を養っているのです。
元谷氏の人生は、誕生の瞬間から「強運」との戦いでした。
1947年7月7日、未熟児として生まれた彼女は、医師から「朝まで持たない」と宣告され、葬儀の準備までされていたといいます。
さらに、生後間もなく福井大震災(Fukui Earthquake)に遭遇。

家屋が倒壊する中、仏壇の隙間に奇跡的に体が収まったことで九死に一生を得ました。
この原体験が、彼女の底知れない生命力と、後の経営における「何があっても生き残る」という執念の礎となっています。
地元の進学校である福井県立藤島高等学校(Fujishima High School)を卒業後、信用金庫での勤務を経て、夫である元谷外志雄(Toshio Motoya)氏と出会います。
彼女は夫を「あっぱれな人生を歩んだ人」と深く尊敬し、夫に認められたことが最大の強運の始まりだったと振り返ります。
その後、37歳でホテル経営に参画し、47歳で社長に就任。
自らの顔写真を前面に押し出した広告展開は、世間から「公共の福祉に反する」といった苛烈な誹謗中傷を浴びましたが、彼女はそれを「使命を果たしている証」と捉え、広告効果への自信へと変換しました。
経営者としての真価が問われたのは、2007年に発生した耐震強度不足問題でした。
建築基準の変更に伴い、意図せず基準を下回ることとなったホテルに対し、彼女は行政の指摘を待たずに自主公表と営業休止を断行。

記者会見で謝罪し、透明性を確保することで信頼回復に努めました。
この迅速な対応により、銀行からの融資返済を迫られる「強制ダイエット」を経験することになりますが、これが皮肉にも翌年のリーマンショック(Lehman Shock)で彼女を救うことになります。
リーマンショックにより不動産価格が暴落した際、アパホテルは既に借入金を完済し、潤沢なキャッシュを手元に持っていました。
他社が資金繰りに窮する中、彼女はこの好機を逃さず、東京都心の一等地を50箇所以上も安値で買収することに成功しました。
不運に見える出来事を、未来の成功への伏線として読み解き、行動に移す力。
それこそが、元谷芙美子氏が体現する「再現可能な運の技術」の本質なのです。
最愛の夫を亡くした喪失感の中にありながらも、彼女は次なる「強運」を掴むために歩みを止めることはありません。


