19世紀前半、ある火災保険会社の職員が言語学の歴史を塗り替える発見をしました。
その発端は、ガソリンスタンド等で見られるドラム缶の爆発事故調査でした。
ドラム缶に「EMPTY(空)」という文字が書かれているのを見た人々は、中に何も入っていないと誤認し、その近くで不用意にタバコを吸うなどの行為に及びます。
しかし、実際には可燃性の気化したガスが充満しており、引火して爆発を招いていたのです。
この事実は、文字という「言語的ラベル」が人々の思考や危機意識を規定し、現実の行動を左右することを示唆していました。
この発見を理論化したのが、Benjamin Lee Whorf(ベンジャミン・リー・ウォーフ)です。
彼は今日「サピア=ウォーフの仮説(Sapir-Whorf hypothesis)」として知られる、言語が思考を決定、あるいは影響を与えるという「言語相対論」を提唱しました。
この仮説には、言語が思考を完全に支配するという強い立場(言語決定論)と、一定の影響を与えるという弱い立場の解釈が存在します。
ウォーフの主張は、現代のSF映画『メッセージ(Arrival)』のモチーフになるなど、今なお多大な文化的影響を与え続けています。
驚くべきことに、ウォーフは職業的な言語学者ではありませんでした。
彼はMIT(マサチューセッツ工科大学)で化学工学を専攻し、卒業後は火災保険会社のエンジニアとして生涯を過ごしました。
大学での成績は平凡でしたが、実務能力は極めて高く、複雑な工場の安全性を見抜く直感と経営陣を説得する人望を兼ね備えていました。

彼は1日8時間の本業をこなしながら、並外れた好奇心でヘブライ語やアステカ語の研究に没頭し、独学で専門家と渡り合うレベルの論文を執筆した「アマチュアリズム」の体現者でした。
ウォーフのキャリアにおける転換点は、1931年にYale University(イェール大学)で高名な言語学者Edward Sapir(エドワード・サピア)の講義に参加したことでした。
サピアはアメリカ先住民の言語研究の第一人者であり、ウォーフの師となりました。
ウォーフはサピアの死後もその研究を継承しつつ、独自の視点を深めていきました。
彼は博士号の取得を拒み、あえて「愛好家(アマチュア)」という立場に留まりました。
それは、アカデミックな制約に縛られず、自由な知的好奇心を追求することを好んだ彼の哲学の現れでした。
ウォーフが分析した言語の中で最も有名なのが、アメリカ先住民のHopi(ホピ語)です。
彼はホピ語には英語のような「過去・現在・未来」という直線的な時間の概念を指す名詞や文法形態が存在しないと主張しました。
英語話者が時間を物理的な長さとして捉えるのに対し、ホピ語話者は世界を「すでに現れたもの(確定した過去・現在)」と「現れつつあるもの(主観的・不確定な未来)」という2つのカテゴリで認識しているというのです。
これは、時間の捉え方そのものが言語構造によって規定されている可能性を示しました。
また、Shawnee(ショウニー語)の事例も非常に示唆的です。

ショウニー語では「木の枝を脇にやる」という動作と「足に余分な指が1本ついている」という状態が、文法構造上、極めて似た形で表現されます。
これは、どちらも「本体から分岐した輪郭」という共通の抽象的概念で捉えられているためです。
英語や日本語では全く別の現象として分類される事象が、特定の言語においては同一の論理カテゴリに含まれる。
この事実は、我々が「客観的」だと信じている世界の分類がいかに言語に依存しているかを物語っています。
さらにNootka(ヌートカ語)の分析では、英語では「ボート」という名詞を中心に構成される文が、ヌートカ語では事象の性質や運動に焦点を当てた全く異なる構造になることが示されました。
我々が世界を「物(名詞)」の集まりとして見るか、「出来事(動詞的事象)」の連続として見るかという根本的な世界観さえも、言語によって分断されている可能性があるのです。
ウォーフはこれらの衝撃的な事例を、一般向けの科学雑誌などで分かりやすく、時には煽情的な表現を用いて「バズらせる」ことで、学術界を超えた広範な関心を集めることに成功しました。
ウォーフの功績は、それまで自明視されていた「普遍的な人間の論理」に疑義を呈した点にあります。
彼は、特定の言語体系に基づいた論理学者や観察者が導き出す結論は、別の言語体系においては全く異なるものになり得ると警告しました。
我々の思考の枠組みは、母国語という「色眼鏡」によって形成されているという視点は、異文化理解の重要性を説く上でも極めて強力な武器となりました。
ただし、彼の極端な主張には後に多くの言語学者から厳しい批判が寄せられることになりますが、その議論の端緒を開いた意義は計り知れません。


