今回の対談は、俳優であり猟師としても活動する東出昌大 (Masahiro Higashide) 氏をMCに、探検家・医師の関野吉晴 (Yoshiharu Sekino) 氏、そして「糞土師」を名乗る伊沢正名 (Masana Izawa) 氏を迎え、人類と自然の真の共生について深く掘り下げています。
東出氏は現在、都会を離れ、狩猟採取に近い生活を送りながら、自らも「野糞」を実践することで自然の循環の一部になろうとしています。
この極めて個人的な実践は、現代社会が忘れてしまった「排泄物という資源」の再評価から始まっています。
関野吉晴氏は、動力を使わずに人類の足跡を辿る「Great Journey (グレートジャーニー)」を通じて、世界各地の先住民と生活を共にしてきました。
アマゾンの先住民たちの暮らしでは、排泄物や生ゴミはすべて森や川に捨てられます。
それは汚染ではなく、魚や昆虫の餌となり、最終的に土へと還る「完全な循環」の中にあります。
対して現代文明は、排泄物を下水に流し、焼却処理することで二酸化炭素を排出し、自然のサイクルから物質を切り離してしまっていると指摘します。
伊沢正名氏が提唱する「糞土思想」は、私たちが日々食べているものがすべて「他の生き物の命(細胞)」であるという冷徹な事実から出発します。
命を奪って生きる以上、そのカスである排泄物を土に還し、新たな命を育む肥やしにすることこそが「生きる責任」であると説きます。
伊沢氏は13年以上、一度もトイレを使わず野糞を続けた記録を持ち、自身の活動拠点である「Poopland (プープランド)」での長年の観察から、排泄物が土壌の分解力を高め、生物多様性を劇的に豊かにすることを科学的にも証明しています。

対談では、現代の環境保護活動やSDGs (持続可能な開発目標) への批判的な視点も提示されました。
SDGsは欧米主導の「人間中心主義」の延長線上にあり、他の生物との共生という視点が希薄であるという指摘です。
関野氏は、チベットの「生きとし生けるものの幸福を祈る」精神や、アイヌやアメリカ先住民が持つ「人間は自然の一部である」という謙虚な世界観に立ち返ることの重要性を強調します。
特に深刻なのは、現在進行中の「第六の大絶滅 (The Sixth Extinction / ビッグ6)」です。
過去の絶滅と異なり、現在は象やライオン、ゴリラといった「強く大きい動物」から順に滅んでおり、その主因は人間の経済活動による生息地の破壊です。
伊沢氏は、人間を「地球最大の害獣」と定義した上で、常識という名の思考停止を脱却し、自然の摂理に従うことの必要性を訴えます。
排泄物を隠し、死体を燃やす現代の慣習は、命のバトンを止める行為に他ならないのです。
議論は、関野氏が監督を務めた映画『うんこと死体の復権』にも及びます。
この映画では、伊沢氏らの活動を通じて、死や排泄がいかに豊かな生命を育むかが描かれています。

プープランドでは、世界的に極めて稀な菌類が次々と発見されており、人間の排泄物が自然界においていかに重要な役割を果たし得るかが視覚的に示されています。
これは、私たちが「汚物」として忌避してきたものが、実は地球を救う「宝」であることを物語っています。
最後に、東出氏は「ほどほどに」「足るを知る」という古来の知恵を現代にどう落とし込むかを問いかけます。
飽食の時代において、過剰な栄養を摂取し、それをただ下水に流す生活は、自然に対する「収奪」でしかありません。
都会に住む人々が今すぐ野糞を始めることは現実的ではありませんが、自らの排泄物や死がどこへ行くのか、その責任をどう果たすのかを考えることが、自然との共生への第一歩となります。
私たちは「人間の時間」で自然を制御しようとする傲慢さを捨て、「自然の時間」に歩み寄らなければなりません。
それは、旬のものを食べ、無駄な開発を止め、命の循環を停滞させない生き方です。
今回の対談は、文明の利便性の裏側にある「命の負債」を直視し、地球の一部として謙虚に生きるための哲学を提示しています。
個人の意識変革こそが、行き詰まった資本主義と環境破壊を突破する唯一の道なのです。


