戦後日本の歴史教育において、1945年8月の広島・長崎への原子爆弾投下は、唯一の被爆国としてのアイデンティティの根幹をなす事実として語られてきました。
しかし、歴史研究家の林千勝 (Chikatsu Hayashi) 氏は、この「常識」が壮大なプロパガンダによって構築された偽りであると主張します。
林氏によれば、当時の米国大統領 Harry S. Truman (ハリー・S・トルーマン) が出した声明には、投下方法、弾数、破壊力のすべてに嘘が含まれているといいます。
16時間前に一機で一発の爆弾を投下したという物語こそが、核の脅威を世界に植え付けるための印象操作であったというのです。
林氏がその根拠として挙げるのは、1945年5月末に開催された米国の最高会議の議事録です。
そこでは、J. Robert Oppenheimer (J・ロバート・オッペンハイマー) の仲間が、プルトニウム原爆の完成は1949年1月以降になると正式に報告していました。
つまり、広島・長崎の時点では実用的な原子爆弾は完成していなかったことになります。
では、実際に何が投下されたのでしょうか?林氏は数千件に及ぶ軍関係者や専門家の証言を精査し、それが「大型の複合爆弾」であったと結論づけています。
この複合爆弾の内訳は極めて残酷なものです。
まず、見た人に強烈な閃光を感じさせるマグネシウム主体の先行弾(ピカ)。
次に、巨大な雲と爆風をもたらすサーモバリック爆弾。
さらに、広範囲を焼き払うための大量のナパーム弾。

そして最も衝撃的なのは、国際条約で禁止されていた毒ガス(イペリット/マスタードガス)と、Manhattan Project (マンハッタン計画) の過程で生じた原子炉の放射性廃棄物を意図的に混ぜていたという点です。
これらを同時に使用することで、あたかも「一発の原子爆弾」が爆発したかのような視覚効果と、長期間にわたる放射線障害に似た健康被害を捏造したと指摘しています。
物理的な証拠もこの説を裏付けています。
通常の原子爆弾であれば、爆心地には巨大なクレーターができるはずですが、広島の上空写真は東京大空襲の焼け跡と大差ありません。
また、広島平和記念資料館に展示されている樹木は、爆風で枝葉は飛んでいるものの、幹の皮は無傷で残っています。
3,000度から4,000度の熱線が降り注いだのであれば、鉄骨が溶けるだけでなく、ボルトやナットまで溶解するはずですが、原爆ドームの鉄枠は原型を留めています。
科学者の西川将史 (Masashi Nishikawa) 氏も驚きを隠せないこれらの物証は、定説への大きな疑問符となります。
当時の日本側も、これが原爆ではないことに気づいていました。
理化学研究所の物理学者、仁科芳雄 (Yoshio Nishina) 氏の弟子は、8月13日付の読売新聞で「広島に落ちたのは偽装である」という趣旨の特集記事を執筆しています。
また、日本陸軍の航空技術本部が8月10日にまとめた報告書には、「原子爆弾にあらずとする各種の事象」が列挙されていました。
しかし、日本政府はポツダム宣言受諾の交渉において、天皇制維持と引き換えに、この偽装原爆の物語に協力することを選択したのではないかと林氏は推察しています。
映像資料の矛盾も深刻です。

Enola Gay (エノラ・ゲイ) から撮影されたとされる「爆発の瞬間」の映像は世界中に一つも存在しません。
米軍の公式な説明では、撮影機が現像に失敗した、あるいは道に迷って引き返したといった不自然な言い訳がなされています。
私たちが数十年間見せられてきたキノコ雲の映像は、実は東京大空襲の映像などを借用したフェイクである可能性が高いのです。
Harold Agnew (ハロルド・アグニュー) 氏が個人的に撮影した映像には、雲が二つに分かれている様子が映っており、これが複数の爆弾投下を示唆しています。
なぜこれほどの嘘をつく必要があったのでしょうか?その背景には、Manhattan Projectに投じられた20億ドル(現在価値で約5兆円)という巨額の税金に対する成果報告、そして「核による世界支配」の確立という目的がありました。
核ミサイルを向け合う米ソ冷戦構造は、実際には核が完成していない段階から、このプロパガンダによって意図的に作り出されたものです。
その中心人物として、Bernard Baruch (バーナード・バルーク) という国際金融資本家が、トルーマンや Dwight D. Eisenhower (ドワイト・D・アイゼンハワー) らの大統領を操っていたと林氏は説きます。
この事実は、現代の政治にも影を落としています。
Barack Obama (バラック・オバマ) や Donald Trump (ドナルド・トランプ) が広島・長崎に触れる際、その表現が極めて抽象的であったり、文脈から浮いた発言をしたりするのは、この歴史的タブーを理解しているからだと考えられます。
真実を知ることは、被爆者やその遺族にとって複雑な感情をもたらすかもしれませんが、放射線被害への根拠なき恐怖から解放されるという救いの側面もあります。
歴史の裏側に潜む冷徹な政治的意図を正しく認識することこそが、真の戦後史の始まりとなるのです。


