私たちは、何かを考える際に当然のように「言葉」を使っていると考えがちです。
しかし、世の中には言葉ではなく「映像」や「パターン」で思考する人々が存在します。
テンプル・グランディン (Temple Grandin) 氏の著書『ビジュアル・シンカーの脳 (Visual Thinking)』を基に展開される本対談では、言語思考者がマジョリティ(多数派)として設計した現代社会において、視覚思考者がどのような「見えないハンデ」を背負い、かつどのような独自の強みを持っているのかが鮮明に描き出されています。
思考のタイプは、大きく「言語思考者」と「視覚思考者」に分かれます。
さらに視覚思考者の中にも、写真のような具象的な絵を思い浮かべる「物体視覚思考者」と、図形や抽象的なパターン、空間関係で捉える「空間視覚思考者」が存在します。
日本の研究でも、特定のイメージを思い浮かべる際の脳活動をfMRI(機能的磁気共鳴画像法)で測定したところ、視覚思考者は実際に脳の視覚野が強く活性化していることが確認されています。
これは単なる比喩ではなく、物理的な「脳の使い方の違い」なのです。
ここで重要な指摘は、現代社会における「言語化ブーム」への危惧です。

堀元見 (Ken Horimoto) 氏と水野太貴 (Taiki Mizuno) 氏は、自身を「コテコテの言語思考者」と定義し、これまで「言語化できないことは思考が足りない証拠だ」という無意識の傲慢さを持っていたことを告白しています。
しかし、視覚思考者にとって、頭の中にある高精細な「絵」を不完全な「言葉」に変換する作業は、情報の劣化を伴う苦痛なプロセスです。
「言葉にできないのは努力不足」という言説は、一種の「言語化ハラスメント」になり得ると、二人は自省を込めて語ります。
教育現場における課題も深刻です。
現在の学校教育やテストは、テキスト情報の処理能力に偏重しています。
例えば、代数や文章題を苦手とする視覚思考者は、たとえ優れた幾何学的センスやエンジニアリングの才能を持っていても、初期の教育段階で「劣等生」のレッテルを貼られてしまうリスクがあります。
堀元氏が空間図形を極端に苦手としつつ、演算としての数学を解くというエピソードは、言語思考者の典型例として対照的に示されています。

一方で、異なる思考タイプの協働がもたらす価値は計り知れません。
スティーブ・ジョブズ (Steve Jobs) とスティーブ・ウォズニアック (Steve Wozniak) のように、アート的・直感的なビジョンを持つ者と、それを論理やシステムに落とし込む者が組むことで、Apple (アップル) のような破壊的イノベーションが生まれます。
また、視覚思考者はシステム全体の物理的な脆弱性を「見る」ことができるため、言語思考者が論理の積み上げで見逃すような重大なエラーを未然に防ぐ能力に長けています。
結論として、私たちが「知性」と呼んでいるものの多くは、単に「言語思考に偏った社会での適合率」に過ぎないのかもしれません。
MBTIやストレングスファインダーといった自己分析ツールが流行する背景には、自身の特性を言語化したいという欲求がありますが、それすらも言語思考的なアプローチです。
自分が当たり前だと思っている思考プロセスが、実は特権的なマイノリティ、あるいは特定のタイプに過ぎないという事実に気づくこと。
それが、多様な才能を活かし合える社会への第一歩となります。


