現代の世界情勢を理解する上で、もはや「地政学(Geopolitics)」だけでは不十分です。
地政学とは、地理的条件が軍事や政治に与える影響を分析する学問です。
例えば、米国は太平洋と大西洋に面した海洋国家として世界中に展開でき、逆に中国は近隣に敵対国を抱える大陸国家として勢力圏を広げようとする、といった視点です。
しかし、現代において軍事力以上に重要度を増しているのが、経済を武器化する「地経学(Geoeconomics)」の概念です。
地経学の核心は、自国が持つ経済的な資源や市場を「武器」として使い、相手国をコントロールすることにあります。
象徴的な例が、オランダのASML社です。
同社が独占的に製造する「EUV(極端紫外線)露光機」がなければ、世界は最先端の「2nm(2ナノ)」半導体を生産できません。
また、その製造を担う台湾も、世界にとっての「不可欠性」を武器にしています。

このように、たとえ小国であっても、特定のサプライチェーンにおいて代替不可能な地位を築けば、大国に対しても強力な影響力を行使できるのが地経学時代のルールです。
この大きな転換点となったのは、2008年のリーマンショックです。
この事件は市場経済への不信感を招き、米国優先主義(アメリカ・ファースト)や右派ポピュリズムを台頭させました。
結果として、国際社会の協調よりも「自国第一」のナショナリズムが優先されるようになり、国家が最高権力として振る舞う「主権国家の時代」へと逆回転を始めました。
1648年のウエストファリア条約以来の原則である「国家をコントロールできる上位存在はいない」という冷徹な事実が、今改めて突きつけられています。
現在の国際紛争では、この「地政学」と「地経学」が巧みに使い分けられています。
対等な力を持つ大国同士(米中など)では、全面戦争のコストを避けるために経済制裁や関税といった地経学的手段が選ばれます。
一方で、米国がベネズエラに対して行ったように、軍事力が圧倒的に劣る相手には、ピンポイントで政権中枢を叩く武力行使が躊躇なく行われます。

ベネズエラではNicolas Maduro(ニコラス・マドゥロ)大統領を排除し、Delcy Rodríguez(デルシー・ロドリゲス)政権への移行を迫るなど、最小コストで国益を確保する「ピンポイント・オペレーション」が主流となっています。
しかし、この戦略が常に成功するわけではありません。
イランの事例では、米国がトップであるAli Khamenei(アリ・ハメネイ)師を殺害するという強硬策に出ましたが、イラン側はこれに屈せず、地経学的な急所であるHormuz Strait(ホルムズ海峡)の封鎖という報復措置で対抗しました。
米国側は「封鎖を解除するのは自分たちだ」と軍艦を派遣していますが、これは地経学的な抵抗に対して軍事力で抑え込もうとする、非常に不安定な対立構造を生み出しています。
結局のところ、現代は「相互依存による平和」が崩壊し、「相互依存の武器化」が起きている時代です。
かつては経済的に繋がっていれば戦争は起きないと考えられていましたが、今や「繋がっているからこそ、そこを断ち切ることで相手を攻撃できる」という思考に変わりました。
ビジネスパーソンは、単なる市場動向だけでなく、自社のサプライチェーンのどこに「不可欠性」があり、それがどこの国の「主権」や「地経学」の標的になり得るかを常に意識しなければ、生き残れない時代に突入しています。


