日本語における「弁」という漢字は、弁護士、弁当、花弁、調整弁、名古屋弁など、驚くほど多岐にわたる文脈で使用されます。
通常、英語の「Spring (スプリング)」のように複数の意味を持つ言葉には、共通の「核となるイメージ」が存在するものですが、こと「弁」に関してはその法則が当てはまりません。
なぜなら、現代の「弁」は、全く異なる意味を持つ4つ以上の漢字が、戦後の国策によって強引に一つにまとめられた「合併の産物」だからです。
歴史を紐解くと、かつては用途に応じて厳密に漢字が使い分けられていました。
まず、物事をわきまえる、処理するという意味の「辧 (べん)」。
これは「辛」という字の間に「リ (かたかなのり)」を挟んだ形をしており、弁別や弁償といった熟語で使われていました。
次に、花びらやバルブを意味する「瓣 (べん)」。
こちらは「辛」の間に「瓜 (うり)」を挟み、花弁や調整弁といった物理的な「仕切り」を指す言葉に用いられていました。
さらに、言葉を述べる、語るという意味の「辯 (べん)」が存在します。

これは「辛」の間に「言 (ごんべん)」を挟む事態で、弁護士や弁論、名古屋弁など、発話に関連する概念を一手に引き受けていました。
加えて、髪を編むことを指す「辮 (べん)」があり、これが弁発(べんぱつ)の由来となっています。
これら4つの複雑な「正字」に対し、もともと「弁」という字は「冠 (かんむり)」そのものを指す、画数の少ない別の文字でした。
事態が大きく動いたのは1946年、戦後間もない日本の教育改革期です。
当時の知層の間では、漢字は習得に時間がかかりすぎ、民主化を妨げる要因であるという「漢字廃止論」が有力でした。
GHQ (連合国軍最高司令官総司令部) の影響もあり、将来的な漢字全廃を見据えた過渡的な措置として「当用漢字表」が制定されました。
この際、複雑な「辧・瓣・辯・辮」は、形状が似ており、かつ略字として通用していた「弁」へと統合されることが決まったのです。
この人為的な「大合併」により、本来は別々の概念だった「わきまえる」「はなびら」「かたる」「あむ」「かんむり」が、すべて一つの「弁」という箱に押し込められることになりました。
その結果、現代の私たちは「弁護士」と「花弁」の共通点を探して悩むという、歴史的な理不尽に直面しているのです。

この効率化の追求は、時に「弁言 (べんげん)」という言葉が「序文」と「口達者」という全く異なる二つの意味を持ってしまうような、言語的な混乱さえ引き起こしました。
同様の現象は「弁」だけではありません。
例えば「芸」という字も、本来は「運 (うん)」と読まれる高草を指す字と、芸術を意味する複雑な「藝」が統合されたものです。
また「欠」も、あくびを指す本来の意味に、不足を意味する「缺」が合流した経緯があります。
私たちが漢字学習で感じる「なぜこんなに意味が多いのか」という違和感の多くは、漢字そのものの性質ではなく、昭和という激動の時代に行われた、日本独自のダイナミックな文字政策の痕跡であると言えるでしょう。
漢字が常用漢字として定着し、全廃の危機を脱した現代において、これらの「合併」の事実は緩和辞典の隅に追いやられています。
しかし、諸橋轍次 (もろはし・てつじ) が編纂した『大漢和辞典』のような膨大な記録を紐解けば、文字の一つ一つが背負っていた本来の顔を垣間見ることができます。
現代の「弁」の多義性は、合理性を求めた人類の選択が、皮肉にも後世に知的な謎を遺した興味深い事例なのです。


